2012-12-01から1ヶ月間の記事一覧

 神通。

「心置自然」を実践すると何が期待できるのか。 神に通じる。 神や仏に近づく。 神とは「自然」。 太陽はその偶像。 母親の胎内から飛び出したときは、人間社会を知らなかった。 人間社会で成長し、様々な影響を受けた。 楽しいこともあったし、楽しくなかっ…

 自然を置く。

こころの置所を何に求めるのか。 それで、その人物の人となりは定まる。 それが、「心置」の意味だと前日に書いた。 自分は「何を」こころを置いているのか。 価値観といってもよい。 一番大事にしているものは何か。 一杯あって簡単に決まらないという人も…

 心置自然。

きょうの一枚は、前日に説明した。 ボクのそばで背を向けて安心して焼き芋にしがみついている。 冬のさなかに、ウッドデッキで日向ぼっこをしている変人に興味が湧いたのかもしれない。 とにかく、次から次へと入れ替わって虫が訪問してくれた。 会話は成り…

 幸福な死。

死という言葉を嫌う人が多い。 誰もが必ず迎えることなのに。 どうせ、通過しなければならない関門なら、忌み嫌うのではなく喜んで向き合うことはできないのか。 赤ちゃんの誕生は祝福される。 人が誠実に生きて、死を迎えた時にもボクは「ありがとう、サヨ…

 終章。

あまり、構えないで書こうと思う。 なぜ、書くのをやめるのか。 ボクにとっては、「書くこと」が欲望の実現であるからだ。 書くことによって、自分の思いの大半が達せられる。 そんな自分にサヨウナラをすること。 日記を書きだしたのは2006年10月28日。 ち…

 名残。

最後の登山、これが悪戦苦闘の名残り。 きょうの一枚。 外見は悪いけれども、靴の中は最後までカラカラだった。 足はガタガタ、身体もフラフラだったけれども、ストックのお陰で下山できた。 登山靴と手と上体の力で降りてきたようなものだった。 洗濯物を干…

 最後の登山。

川上村の井光から山越えて大豆生まで歩いた。 大豆生から井光岳までは何回か登っている。 道なき道なのでコースは定まっていない。 午前6時前にイズさんが到着。 彼は大豆生から登り、ボクは井光まで車で1時間、適当なところに駐車してそこから登る。 井光…